「ささゆりカフェ」が繋いだ支援の広がり 恵那市で 私らしく生きるということ≫

企業・団体

「結い」介護相談室 西尾 巳鈴(にしお みれい)

2022.04.07

私のプロフィール

心理カウンセラーに憧れ、心理学を学ぶため大学に入学。在学中に新しい国家資格「精神保健福祉士」養成課程がある事を知り、履修。精神科病院での実習を機に、精神科病院で働く事を決意。見事、愛知県豊橋市にある精神科病院に就職。精神疾患の方への支援の中で、多職種連携の重要性を体感する。豊橋市で初の市長同意による成年後見人を申し立てる。市役所内に市長同意を専門に扱う部署が編成された。結婚を機に東濃地方へ引っ越す。出産を機に、育児とフルタイムで精神科病院での相談員として働く事が難しく退職。パートタイムで介護の仕事をしながら、介護支援専門員:ケアマネージャーの資格取得を目指し勉強開始。第2子妊娠中にケアマネ試験を受験し、合格。介護の現場から地域包括支援センターでケアマネージャーとして就職。2人の育児との両立が難しくなり退職し、第1子が小学校へ入学する時期に恵那市へ引っ越す。新しい土地での生活に慣れ、介護職へ復帰。入職後3年目に新しく居宅介護支援事業所を立ち上げることになり、「結い」介護相談室の担当ケアマネージャーになり、3年目に管理者となる。2人の子供も、高校生と中学生となり、自分の時間が持てるようになり、ガーデニングやスイミングを楽しんでいます。

私のアクション

※ささゆりカフェとは
恵那市が平成25年から始めた、認知症のある本人と家族、地域の人々が誰でも気軽に参加できる認知症カフェのことです。

ケアマネジャーとして、「結い」介護相談室で働き始めて約1年半後に前頭側頭型認知症の診断を受けたYさんを担当することになりました。弊社社長、監査役と同級生だったYさんの夫。同級生の集まりでは、「おまえのせいで、奥さんが認知症になったんだ」と責められる。一方で、社長と監査役からは、「デイサービスに来い。うちにはケアマネジャーも居る」と励まされ、私が担当することになりました。彼女は、認知症を発症してから診断を受けるまでに、大きな病院で何度も検査を受けています。その間にも、認知症は進行しており、会話することが既に難しい状態でした。その為、人とのコミュニケーションが上手く取れず、行きつけの美容院は喧嘩別れ、大好きな歌、コーラスの仲間とも疎遠となり、自宅で閉じこもっていました。夫は、一刻も早くデイサービスに行かせたい、という一心でしたが、人との関わりを拒絶する彼女にもう一度、人と触れ合う喜びや、楽しさを感じて貰いたい。好きなことをきっかけに、家から一歩出て欲しい、と思い「ささゆりカフェ」に夫婦で一緒に参加しませんか?と誘いました。「私もカフェで待っています」と伝え、夫や夫の友人の協力を得て、彼女は「ささゆりカフェ」に参加しました。カフェで人との触れ合い、喜びをきっかけに、デイサービスの利用に繋がりました。今では、夫婦共にカフェの常連です。料理上手だった彼女の手料理をもう一度、食べたいという夫の願いを叶えるべく、ヘルパーさんと一緒に調理も行っていましたが、認知症の進行と夫も高齢になるにつれ、介護疲れも重なり、また新型コロナウィルスの影響で外出自粛となり、ストレス解消の行き場が無く、緊張した状態が続いていました。緊急事態宣言が明け、カフェの再開やえな認知症みらいプロジェクトの発足に伴い、夫婦で共に参加することで、次第に緊張は和らぎ、共に笑顔で過ごせる時間が持てるようになりました。振り返ると、「ささゆりカフェ」や「RUN伴+」、「えな認知症みらいプロジェクト」の実行委員会に私が参加し、イベントへ誘い、夫婦で参加して貰ったことで、私以外の支援者、市役所の人、カフェで馴染みになった人、イベントで参加した高校生等に支援の輪は広がり、支え合える地域作りに繋がっていると感じます。私が認知症になったとしても 私らしく生きられるまちを みらいに繋がっていくように作っていけたらと願いながら、今後も活動に参加していきたいと思います。

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